鷹栖村とアイヌ民族(広報3月号の町長コラム)

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今年は町制施行50周年の節目の一年であり、8月に発刊予定の「鷹栖町史 第三版」の編纂作業も佳境を迎えている。

明治25年2月4日に鷹栖村が誕生してからの歴史について、私も町史を幾度か拝読し、石狩川に架かる現在の旭橋は、当時は木橋で「鷹栖橋」と言われ、旭川市近文・江丹別地区から鷹栖~比布~愛別~上川町までが鷹栖村であったことや、明治34年に旧第七師団が駐屯し、3年後に鉄橋が建設され、名称が鷹栖橋から「旭橋」に変更されたことを知り得た。

興味深いのは、明治30年代前半に旧第七師団の駐屯地建設を任された「大倉組」が、先住民族であった上川アイヌの方々を一方的に天塩原野に移転させようとした紛争の記述である。

この動きを察知した後の村長となる板倉才助や中山照重が中心となり、反対運動を起こし、最終的にはアイヌ代表・川村モノクテらと上京。大隈重信ら政府首脳に陳情し、アイヌ民族と開拓民が協力して、先住民の土地を守ったという史実だ。後に板倉氏と中山氏は、内田瀞氏等と近文土功組合設立に奔走し、先進の農業用水溝路工事を進め、北海道最大の賦課面積を有する土功組合へ発展させ、近代農業の礎を築いた。

アイヌ民族が「カムイミンタラ」と呼んでいた大雪の山々は、今や「神々の遊ぶ庭」と訳され、その豊かな融雪水の恵みをいただき、鷹栖町には美田が広がる。アイヌ新法が注目される今、あらためて先人たちの偉業を学ぶ想いに駆られている。

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